あまり有名でない新選組隊士たち
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阿部十郎(あべ じゅうろう)
会津系のコネクションで後期に台頭した実務派。甲陽鎮撫隊~会津~蝦夷へと転戦し、維新後も生き延びた。晩年は会津ゆかりの地で没。 -
蟻通勘吾(ありどおし かんご)
結成初期入隊の古参平隊士。池田屋・三条制札事件などに出動し、最後は箱館戦争で戦死。平隊士のまま実戦で働き抜いた仕事人。 -
井上泰助(いのうえ たいすけ)
井上源三郎の甥(あるいは養子筋)にあたり若年で入隊。戊辰戦争期まで活動した若手隊士として知られる。 -
大石鍬次郎(おおいし くわじろう)
豪胆な実戦派で「人斬り鍬次郎」の異名も。三浦休太郎警護の天満屋事件でも奮闘するなど、要人警護で腕を振るった。 -
尾形俊太郎(おがた しゅんたろう)
古参の側用・実務係として名が残る。島田魁・山野八十八と同時期入隊と伝わる。 -
尾関雅次郎(おぜき まさじろう)
隊旗持ちや旗役として知られ、古参の旗手格。後年に残された隊友の姿絵にも描かれる。 -
尾関弥四郎(おぜき やしろう)
尾関雅次郎の兄。初期入隊で八月十八日の政変や池田屋に出動。病弱で早世したため、兄弟のうち雅次郎ほどは長く活動しなかった。 -
葛山武八郎(かつらやま ぶはちろう)
初期からの平隊士。のちの総長・永倉らが提出した建白書にも名が見えるなど、組内政治にも顔が利いた硬骨漢。 -
酒井兵庫(さかい ひょうご)
平隊士ながら実戦に強く、京都市中取り締まりや会津・北越方面でも転戦した記録がまとまる。 -
宿院良蔵(しゅくいん りょうぞう)
勤王派狩りの実働部隊として動いた一人。油小路・天満屋前後の動きにも名が現れる。実直な働き手タイプ。 -
島田魁(しまだ かい)
大柄で胆力抜群の古参。伍長として末期まで土方に従い箱館まで残った最後の新選組の中心格の一人。証言者としても貴重。 -
相馬主計(そうま かずえ)
戊辰末期に台頭し、**土方歳三戦死後に最後の局長**を務めた人物。降伏時の恭順書に隊長として署名し、のちに謎多い割腹自決を遂げた。 -
鈴木三樹三郎(すずき みきさぶろう)
九番隊長。学者肌で剣の腕も立つ。のちに伊東甲子太郎らと行動を共にし、御陵衛士へ転じるなど思想・行動両面で異彩を放った。 -
立川主税(たちかわ ちから)
実戦派の隊士。池田屋後の京都市中警備や天満屋前後の動きで名が出る。討幕派の動きを追う場面で活躍。 -
中島登(なかじま のぼる)
古参の実戦要員であると同時に画才に富み、後年、隊友たちを描いた**「戦友姿絵」**を制作。新選組の面影を今日に伝える絵師隊士。 -
伊藤鉄五郎(いとう てつごろう)
誠実な働きで知られ、維新前後も各地を転戦。生存して後年の証言にも名が残る。 -
伊藤源助(いとう げんすけ)
実直な現場要員。会津~蝦夷までの広範囲で従軍の足跡が追える。 -
市村鉄之助(いちむら てつのすけ)
少年隊士。箱館直前に土方の命で離脱し、遺品や写真を日野の佐藤家へ届けたと伝わる伝令の少年。 -
市村辰之助(いちむら たつのすけ)
鉄之助の兄。若年時から隊務に就き、後年まで生存。兄弟で隊の雑務や伝令に奔走した。 -
山崎烝(やまざき すすむ)
監察(情報・内偵)担当として活躍。池田屋事件前夜の内偵に関与したとされ、表に立たない情報活動で貢献した。 -
山野八十八(やまの やそはち)
隊中美男五人衆の一人。古参で、箱館直前まで土方らに随行。維新後は京都の小学校で用務員を務め、静かな余生を送った。