新撰組の隊士を紹介します

新撰組は、幕末に京都で活動した武装警察組織で、主に尊王攘夷派志士の取り締まりを行いました。以下に、新撰組の主要メンバーをできる限り詳しく紹介します。


局長

近藤 勇(こんどう いさみ)

●生年:1834年(天保5年)

●没年:1868年(慶応4年)

●出身地:武蔵国多摩郡(現在の東京都調布市)

●経歴:
・天然理心流剣術の道場「試衛館」の三代目師範
・1863年、壬生浪士組(後の新撰組)を結成
・池田屋事件(1864年)で名を挙げ、幕府から正式に取り立てられる
・戊辰戦争で敗北し、1868年に板橋で斬首される

●特徴・逸話:
・剣術の腕は確かだったが、剛直すぎる一面もあり、内部の対立を招くことも
・武士への強い憧れがあり、のちに幕臣に取り立てられる


副長** 土方 歳三(ひじかた としぞう)

●生年:1835年(天保6年)

●没年:1869年(明治2年)

●出身地:武蔵国多摩郡(現在の東京都日野市)

●経歴:
・近藤勇の道場仲間として新撰組に参加
・組織の軍事指導を担当し、「鬼の副長」として恐れられる
・甲州勝沼の戦い(1868年)で敗北し、その後函館に渡り蝦夷共和国の陸軍奉行並として奮戦
・1869年、五稜郭の戦いで戦死

●特徴・逸話:
・非常に厳格な性格で、粛清を行い隊内の規律を維持
・俳句を嗜む一面もあり、戦場でも句を詠んでいた
・鉄の意志を持ち、最後まで幕府側として戦った


参謀** 伊東 甲子太郎(いとう かしたろう)

●生年:1835年(天保6年)

●没年:1867年(慶応3年)

●出身地:常陸国(現在の茨城県)

●経歴:
・1865年、新撰組に加入し、参謀となる
・尊王攘夷派の思想を持ち、後に脱退して御陵衛士を結成
・1867年、近藤らに暗殺される

●特徴・逸話:
・文武両道であり、知的な戦略家
・近藤・土方と対立し、新撰組から脱退
・その後、新撰組の策略にはまり暗殺された


一番隊組長** 沖田 総司(おきた そうじ)

●生年:1842年(天保13年)

●没年:1868年(慶応4年)

●出身地:武蔵国多摩郡(現在の東京都)

●経歴:
・幼少の頃から天然理心流を学び、天才剣士として名を馳せる
・池田屋事件などで活躍するも、肺結核を患い、戦場に出られなくなる
・戊辰戦争の最中、療養先で病死

●特徴・逸話:
・剣の腕前は新撰組随一で、「三段突き」という速攻を得意とした
・明るく無邪気な性格で、子供好きだった
・しかし、戦闘では冷酷で容赦のない剣士でもあった


二番隊組長** 永倉 新八(ながくら しんぱち)

●生年:1839年(天保10年)

●没年:1915年(大正4年)

●出身地:出羽国(現在の山形県)

●経歴:
・神道無念流の達人で、剣の腕は沖田に次ぐとも言われる
・戊辰戦争では新撰組を離れ、後に松前藩に仕える
・明治時代に新撰組の回顧録を記し、史実の伝承に貢献

●特徴・逸話:
・武士らしい気質を持ち、局長の近藤に対しても意見を述べることがあった
・最後まで生き延び、新撰組の歴史を語り継いだ


三番隊組長** 斎藤 一(さいとう はじめ)

●生年:1844年(弘化元年)

●没年:1915年(大正4年)

●出身地:江戸

●経歴:
・剣の腕は超一流で、新撰組の剣術師範も務める
・戊辰戦争後は会津藩に仕え、明治維新後は藤田五郎と名を変え警察官となる
・明治以降も旧新撰組の仲間を助けるなどの活動を続けた

●特徴・逸話:
・沈着冷静で寡黙な性格
・生涯を通じて新撰組に忠誠を誓い続けた
・その後、明治政府の下で警察官として活動し、静かに生涯を閉じる


このほかにも、多くの隊士が新撰組に関わりましたが、特に有名なメンバーを中心に紹介しました。さらに知りたい人物がいれば、詳しく説明できます!

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